1980年7月25日に発売されたAC/DCの傑作アルバム『バック・イン・ブラック(Back in Black)』が40周年を迎える。AC/DCにとっては初代ボーカルのボン・スコットの事故死から、ブライアン・ジョンストンが加入してリリースされ世界的ヒット作は、累計5000万枚を売り上げを記録している。
このリリース40周年のタイミングを受け、AC/DCは過去のカタログがハイレゾ配信し、世界規模のキャンペーンをスタートしている。
ブリティッシュ・ロックの転換期1979年のイギリスとAC/DC
伊藤政則さんがbayfm「POWER ROCK TODAY」でリリース前年、ボン・スコットを失う以前のAC/DCのイギリスでの活躍と、死を受け入れてから『バック・イン・ブラック』誕生までについてアンガス・ヤングのコメントを交えて紹介した。
僕がAC/DCのコンサートをはじめて観たのは1979年の夏です。
bayfm「POWER ROCK TODAY」2020年7月18日放送より
8月、この週末はすごかったんです、Led Zeppelinのネブワースでの公演。2週間にもわたって土曜日、土曜日でこれがツェッペリンにとってイギリスでの最後の公演になる何十万人入ったかわからないパークに…。
それでキース・ムーンを失ったThe Whoがウェンブリースタジアムで復活、それも週末。そしてレディング・フェスティバル、1979年の8月はブリティッシュ・ロックシーンにとってはすごいエポックメイキングな年だったんです。
そのThe Whoの復活コンサートのオープニングをつとめたひとつが、ちょうど『Highway to Hell』をリリースしてツアーしていたAC/DCだった。
ボン・スコット時代、この1979年の8月の公演から残念なことに、5ヶ月くらい経ってボン・スコットが車のなかで亡くなってるのが発見される。友だちのフラットの前の止まっていた車だったと思うけど、お酒だったと思いますけどね。Led Zeppelinのジョン・ボーナムも同じ感じだったんですけど…。
つまりAC/DCが『Highway to Hell』でロバート・マッド・ラング(Robert “Mutt” Lange)と傑作を作ったもう風雲昇り龍ですよ、青天井で昇っていくところでボン・スコットが亡くなるんです。さてアンガス・ヤングとマルコム・ヤングは…そんな話をアンガス・ヤングが語ってくれます。
「ただ曲を作ろうぜ」とオレたちにとってはそれが凄い効果があった、素晴らしいセラピーだったよ(アンガス・ヤング)
ボン・スコットを失ったAC/DCがいかにして再生し傑作『Back in Black』を発表したか。アンガス・ヤングは次のように語っている。
俺たち特にマルコムとオレは色々なことをボン・スコットとしてきたからね。
bayfm「POWER ROCK TODAY」2020年7月18日放送より
一緒に曲も書いていたし、はじめ兄貴にこう言われたんだ、曲作りが始まっていた「少なくとも悲しみを忘れられるように曲作りを続けようじゃないか」と…。
最初は誰もがショックを受けていたんだよ。はじめてボンが亡くなった知ったときにはすぐには信じられなかった。はじめて知らせを聞いたのは夜だったけど、その日の朝に死んだと実感がわかない部分が大きかった、そんな感じで数週間過ごしたけど、やっぱり信じられなかったんだよね。
それからオレたちはオーストリアに行ってボンの葬式に出て、両親にあってまたイギリスに戻ってきた。
それから2週間くらい経ってアニキのマルコムから電話があって「おい。始めないか、曲を書こう」と。
何をするでもない、何を考えるでもない「ただ曲を作ろうぜ」と「オレたちにとってはそれが凄い効果があった、素晴らしいセラピーだったよ」
それから他のメンバーと合流して曲をまとめたんだ、それが『バック・イン・ブラック』になったんだ。(アンガス・ヤング)
現在AC/DCは『バック・イン・ブラック』リリース40周年を記念して「The Story Of Back In Black」というキャンペーンを展開中。制作の舞台裏についてのインタビューや1981年東京・日本青年館で行ったライヴ・アーカイブも公開されている。