インターFM「Daisy Holiday!」(2019年10月20日放送)で、 細野晴臣の音楽活動50周年記念イベント『細野さんと語ろう!~デイジーワールドの集い~」』(10月14日)での音楽プロデューサー・川添象郎出演パートをオンエア。
「YMOがなぜアメリカで成功できたか?」アメリカショービズ界を知る川添象郎氏の豪快すぎる裏工作の数々が本人の口から明かされた。
アメリカでYMOが最初から受けたのは「音がデカかったから」
【細野晴臣】YMOのツアーは川添さんがリーダーだったんですね。大変でしたけどね。
【川添象郎】大変だねあれは。
【細野晴臣】外国人相手に、交渉する訳ですけど、さっきの握手。上から目線のね。
【川添象郎】押さえつけないとね。言うこときかないから。
【細野晴臣】そうなんでしょ。凄い関心しましたよ、その話で。
【川添象郎】マッド・リーチという舞台監督がいて、向こうでショウをやるとYMOはゲストミュージシャンじゃないですか。要するにメインのアクトの前に出るじゃないですか。
【細野晴臣】最初のツアーでアメリカに行ったときのグリークシアター。あの時は最初ですよ。
【川添象郎】そうです、そうです。
【細野晴臣】で前座ですね。
【川添象郎】前座じゃないけど、僕ら「ゲスト・ミュージシャン・フロム・ジャパンって言え」って、そういう紹介をして貰いましたからね。
【細野晴臣】そのときの話がね。大体ああいうのは、前座といっちゃなんですけど、ウォーミングアクトは。
【川添象郎】プリアクトだね。
【細野晴臣】プリアクト、音のレベルを下げられちゃうんですよね。
【川添象郎】そうなんですよ。インストゥルメンタルのグループでしょ、音下げられちゃったら何もならないものね。
【細野晴臣】僕たちはボーッとしているので、何も考えなかったんですけど、それをPA席で聴いていたんですよね、川添さんが…。
【川添象郎】ていうか、大体様子を掴んでいましたから。
【細野晴臣】やっぱりよくご存知なんですよね。そういうの。
【川添象郎】向こうでやってましたからね。
【細野晴臣】それで何をしたかと言うと…?
【川添象郎】何をしたかという言うと、まず舞台監督をいてこますのが一番。
【細野晴臣】いてこます(笑)。
【川添象郎】舞台監督に賄賂を渡して、1000ドルの賄賂を渡してA&Mレコードの会長のジェリー・モスという凄い偉い人がいるんですけど、その人の名前を出して「この金を貰ったからには、ちゃんと音出さないとお前は二度とショービジネスで仕事が出来なくなる」と脅かしましてね(笑)。
【細野晴臣】怖いよねえ。
【川添象郎】「シェー」ってビックリして言うこときいて音出してくれたんですよ。
【細野晴臣】それであんな大きな音になったってことですよね。
【川添象郎】あれは成功のひとつの原因ではありますね。
【細野晴臣】そうでしょ。そんなこと知らないから僕たちは。「ああウケた」と思ったんですよ。
【川添象郎】バカウケですよ、もう。
【細野晴臣】その話を聞いてショービジネスのバックグラウンドというか、そういう仕事って非常に大事なんだなと思いましたね。
【川添象郎】向こうでやる場合には向こうのそういう習慣だとか、在り方みたいなものをちゃんと心得ていないと、酷い目にあいますね。
【細野晴臣】そうですね。
川添さん無くしてはYMOの成功なかった(細野晴臣)
【川添象郎】それだからYMOが行ったときに、ロサンゼルスヤバいから、あなた達その頃言葉もあまり喋らなかったでしょ? 英語をあの頃は。
【細野晴臣】あんまりね。そうですね。
【川添象郎】それでリムジンを全部用意して、デカいリムジン覚えてますか?
【細野晴臣】リムジンね。立派なリムジンでした。
【川添象郎】ハイヤーですね。
【細野晴臣】ショーファーという運転手がついていて、そういえばそうでしたよ。
【川添象郎】あれがね身の安全を確保する重要な。だってロサンゼルスって車ないとどうしようもないでしょ?
【細野晴臣】そうですね。
【川添象郎】タクシーなんて走ってませんからね。歩いたら延々と歩いているからね。
【細野晴臣】そのショーファーとリムジンを用意したのも川添さんなんですか?
【川添象郎】そうですよ。
【細野晴臣】凄いわ。やっぱり川添さん無くしてはYMOの成功なかったと。
【川添象郎】そんなことはないですよ。
【細野晴臣】言い切れますよ、本当に。
【川添象郎】とんでもないです。
【細野晴臣】こういうプロデューサーって今いないんですよ。
【川添象郎】ああ、そうでしょうね。
【細野晴臣】音楽を凄く大事になさっているタイプというのはあまりいないんですよ。
【川添象郎】そうね、音楽が大好きですから。
【細野晴臣】ミュージシャンですものね。
【川添象郎】そうです。音楽が大好きなだけじゃなくて、エンタテイナーをね気持ちよく仕事をして貰わなければ、何も始まらないですからね。
【細野晴臣】そうなんですよね。
【川添象郎】みんな元気で仕事やってくれているのかなと思ってたらね、細野さんの顔みるといつもね「くたびれた、くたびれた」二言目には「くたびれた」ってね。
【細野晴臣】生まれたときから、疲れていますので。
【川添象郎】ああ、なるほど。
【細野晴臣】川添さんは元気ですね。
【川添象郎】いや、そんなことないですよ、80歳ですから。
【細野晴臣】やっぱり元気ですね。
【川添象郎】ありがとうございます(笑)。
名プロデューサー・トミー・リピューマを酔わせてYMOのアメリカ契約を後押しさせる
【細野晴臣】あの、村井(邦彦)さんとは仲がいいんですか?
【川添象郎】実はねYMOの成功は、村井邦彦というねアルファレコードの社長。まあだった当時社長で、凄い優秀な作曲家でもあるんですけど、彼のね勇断というか決断というかね、蛮勇というかね。
【細野晴臣】そうですよね。
【川添象郎】それがなければね。YMOの世界的成功はなかったですね。
【細野晴臣】そう思いますね。
【川添象郎】だってあの頃ね。YMOのレコードが出来たときに、村井くんがねヘンな声だして電話してきたんですよ「象ちゃんね。細野くんに任して出来たねレコードがあるんだけど、ちょっと聴いてくれない?」ってあんまり元気そうじゃないのよ。
【細野晴臣】(笑)。
【川添象郎】「何だ何だ」って聴きに行ったワケ。最初出てきた音が「ピ、ププ、ブー、ポンポンポン」…これは歌も無いしね、誰も聴いたことない音楽だし「どうしたらいいのかな」って、2人で頭抱えちゃったの。
【細野晴臣】(笑)。
【川添象郎】そうしたら案の定ね、リリースしても日本では3000枚ぐらいやっと売れたくらいで。細野さんが有名でしたから。で全然売れなかったワケ。そのときに新宿のフュージョン・フェスティバルでトミー・リピューマが来た…。
【細野晴臣】紀伊国屋ホールですね。
【川添象郎】紀伊国屋ホール、実はトミー・リピューマというプロデューサーは、アメリカの大プロデューサーで、マイケル・フランクスとかジョージ・ベンソンというご存知の方がいると思いますけど、それをプロデュースした大プロデューサーなんですよね。
【細野晴臣】フュージョン系のね。
【川添象郎】オシャレな音楽を作る人ですよね。で彼が、日本にバンドを連れてきて、細野さんたちが出演している紀伊国屋ホールの、フュージョン・フェスティバルに出たの。そのときにね、YMOを見せようと思って、トミー・リピューマがその頃泊まっていたオークラホテルに行って、シャンパンをしこたま飲ませて酔っぱらせてね(笑)、それで連れていったの。
【細野晴臣】凄いね裏工作がね。
【川添象郎】そうしたら「これ何だ?凄いいいじゃないか」って。
【細野晴臣】酔っ払ってるんですよね。
【川添象郎】そうそう、YMOってあの頃酔っ払って聴くと良かったんですよ(笑)。それでエラい興奮して「出す出す」って。
【細野晴臣】そっからですよね。
【川添象郎】そこから村井邦彦に電話して「トミーがこう言ってるよ」って言ったら。「本当かよだったらアメリカで出すように工作してみるわ」ってアメリカに電話してA&Mレコードのジェリー・モスに「トミーがこう言ってるから出してよ」って言ったら、向こうでもその前にYMOの音源があって若手のプロモーターたちが「これ何だ面白いな」って言ってたらしいんですよ。
【細野晴臣】その話は聞いてましたね。
【川添象郎】それが上手く合体してね。向こうでレコードが出ることになりました。
【細野晴臣】いやあ奇跡的にね。
【川添象郎】で、出ることになったのはいいんだけど、ライブをプロモーションで演らなければならない。それでトミー・リピューマも「この音楽面白いけど、どうしようか」って頭抱えていたんですよ。
【細野晴臣】みんな頭抱えちゃうんですね。
【川添象郎】最初は誰でもあれは頭抱えますよ細野さん勘弁してくださいよ。酷いもんだね、やりたい放題ですから全部おっつけるからね。それでトミー・リピューマも頭抱えながらオフィスで流したらTubesという向こうのバンドのマネージャーがオフィスの前通って「これ何だ?」って話になって。それで夏のグリークシアターのTubesの3日間のコンサートに「このバンドを出したらどうだ」という話になって。
【細野晴臣】Tubesとはよく話していて、本当に彼らは気に入ってくれてたんですよね。
【川添象郎】だってね、実は向こうのバンドの人たちはね、凄いように聴こえるけど大して上手くないんですよね楽器は。細野さん率いるYMOは、みんな熟練でしょ。だから「シェー」ってビックリして、舞台の袖で彼らの演奏をみんな聴きまくってましたからね。やっぱ凄いんですね。
アメリカでのYMOのライブの成功映像をNHKニュースに売り込み
【細野晴臣】ラッキーだったですねTubesがいてくれて。
【川添象郎】色々な偶然が重なって、それで一番最初にYMOのライブがあって、1曲目から受けちゃったんだよね。
【細野晴臣】あ?
【川添象郎】1曲目から受けちゃったの、あなた達の演奏が。
【細野晴臣】はいはい。
【川添象郎】気がついてないの、あなた?
【細野晴臣】よく判らない(笑)。
【川添象郎】バカ受けしたの。
【細野晴臣】バカ受けしたんだね、あんまり実感ないんですよね。判らなかった…。
【川添象郎】知ってますよ。それでこっちは「シメた」と思って2日目、3日目にビデオクルーを入れて、すぐビデオの記録を録って、ウチのプロモーターを日本にやったの。そうしたら村井が「これは面白いからNHKに売り込もう」ってんで、NHKに持って行ったの。
【細野晴臣】そうだった…。
【川添象郎】NHKって9時のニュースとかってだいたい憂鬱な話ばっかじゃないですか。誰が死んだとかね、こういうことが起きたとかね。そこに明るい日本のミュージシャンがバカ受けしているという映像と一緒に来たものだから、それに乗っかっちゃったワケよ。当時視聴率22%ですよ。
【細野晴臣】凄いですね。
【川添象郎】2200万人が観たワケですよ、あなた達のウケてるのを。
【細野晴臣】はあ、上手くいっちゃったワケですね。
【川添象郎】いっちゃったんですよね、あれ。
【細野晴臣】なかなかやりますよね。
【川添象郎】いやいや、あなた達は好き勝手に作っているだけだから、売る方は売ること考えなきゃダメだから大変なんだから(笑)。
【細野晴臣】全く当時はそんなこと、全く知らなかったですから。
【川添象郎】ああ、そうですか。でもまあね、餅は餅屋だから音楽を作る人、芸術を作る人、それを広める人って分業しないとね。できないですからね。
【細野晴臣】日本の芸能界のなかで、そういう動きっていうの特殊ですよね。
【川添象郎】ひどい特殊ですよ。
【細野晴臣】歌謡界ですからね、当時。
【川添象郎】全然特殊ですね。
【細野晴臣】何か疎まれたりしたんでしょうね?
【川添象郎】あのね、僕らもね村井邦彦さんも、僕もそういうのにはあまり頓着がなかったでしょ。2人ともミュージシャンだから。
【細野晴臣】そうですよね。
【川添象郎】それからインディペンデントレコード会社で、レコード会社はじめましたからね。
【細野晴臣】アメリカの会社みたいでしたからね。
【川添象郎】そうそう、だからなんでもかんでも「やってみようじゃないか」という精神が旺盛でしたね。
【細野晴臣】なるほど。若かったですね。
【川添象郎】やりたい放題でしたね。
【細野晴臣】自分たちこそやりたい放題ですよ(笑)。
【川添象郎】そちらじゃないですね(笑)。実は細野さん率いるYMOおよび色々なニューミュージックのアーティストたちは、凄い真面目に音楽を作っていたんですよ。
【細野晴臣】もうそのことしか考えてなかったですよ。音楽のことしか。
【川添象郎】ヘッドアレンジという言葉をあなたおっしゃいましたよね。
【細野晴臣】はいはい、ヘッドアレンジ。
【川添象郎】すっかり信用してね、1時間4万円のスタジオに行って、入って何か演奏するのかと思ったら演奏しないでティン・パン・アレーのメンバーで「さあ、これからどうしよう」って、話しはじめて相談を…。
【細野晴臣】ええ、ええ(笑)。すいません。
【川添象郎】ちょっと待ってよ。1時間4万円だよ(笑)。
【細野晴臣】そういうことも無頓着で…。
【川添象郎】知ってますよ、芸術家なんだからいいだけどね。
【細野晴臣】いやいや、一回酷い遅刻をしたんですよ僕は、アルファ・スタジオにね。
【川添象郎】8万円か12万円飛んでるね。
【細野晴臣】もう飛んでますよ。さすがにね、怒られましたよ川添さんから。
【川添象郎】ええ、嘘だよ。
【細野晴臣】本当。
【川添象郎】嘘だよ。
【細野晴臣】で反省したんですよ、だから。
【川添象郎】ボクそんなこと言ったことない。
【細野晴臣】言いますよ。
【川添象郎】言いませんよ。
【細野晴臣】言ったんです。
【川添象郎】そうですかね(笑)。
【細野晴臣】かなり怒ってましたよ。
【川添象郎】嘘だねそれは。
【細野晴臣】本当、本当。
【川添象郎】覚えてないと思っていい加減なこと言って。
【細野晴臣】いやホント、僕は覚えてます。
【川添象郎】盛ってますね。
【細野晴臣】いやいや、だから怒られたというか、注意されたんですけど、そのお陰で僕は「ああ遅刻はいけないんだ」って、幼稚園の感じで。
【川添象郎】どうにもならないと思いませんか皆さん?
【細野晴臣】いやいや本当にお陰さまなんですよ。ええ、誰も言ってくれなかったんですよ。
【川添象郎】どうですか。
【細野晴臣】アルファ・スタジオはアルファのものだし、どうせグルグルまわってるんだろと思ってタカをくくってんですけどね(笑)。
【川添象郎】1時間4万円だっていうの。
【細野晴臣】そうですね、高い。
【川添象郎】高いよ当時は。
【細野晴臣】当時はスタジオで作るしかなかったんで、制作費といったらスタジオ代ですよね。一番東京で高いところは1時間6万円ぐらいしましたからね。
【川添象郎】そうですよね。
【細野晴臣】まあ、そういう時代でした。今はもうそれが無くなりましたね、殆ど。
【終了の鐘の音】
【川添象郎】話が長いから「出ていけ」という音だな、こりゃ(笑)。
【細野晴臣】そうなんですよ。
【川添象郎】何か面白かったですか? こんな話。
【拍手】
【細野晴臣】川添象郎さんでした(おわり)