インターFM「Daisy Holiday!」(2019年10月20日放送)で、 細野晴臣の音楽活動50周年記念イベント『細野さんと語ろう!~デイジーワールドの集い~」』(10月14日)での音楽プロデューサー・川添象郎出演パートをオンエア。
今だから話せるYMO時代の裏話が次々と飛び出したが、まずは破天荒な川添象郎氏の経歴について訊いた。
YMO海外成功のキーマン・川添象郎の武勇伝
【細野晴臣】この音楽は毎週日曜日の深夜にインターFMでやっているレギュラー番組のテーマソングなんですけど。アーティー・ショウの 「Back Bay Shuffle」という…。
その番組の収録を兼ねて今日はゲストを3組お招きしています。いつもは来ない人たち、特に最初に来る人はとても珍しい、僕の先輩ですね。YMOのときにプロデュースをしていただいた、川添さんがいらしているので、すごい面白い話がいっぱいあると思うんですけどね。どんな話になるか…。
【川添象郎】しばらくです。
【細野晴臣】どうぞどうぞ。川添さんは握手するときこうなんですよね、上から目線なんですよね(笑)。自分でそうおっしゃってましたよ。
【川添象郎】すいません、いっぱい人がいるんですね。
【細野晴臣】そうなんですよ(笑)。
【川添象郎】怖いですね。
【細野晴臣】お茶がきました、お茶が。
【川添象郎】ご苦労さまです。
【細野晴臣】さあ何の話をするかというとですね…まあ、時々街でお会いしますよね。
【川添象郎】そうですね、あの食べもの屋さんか何かでね。偶然出くわしたり。
【細野晴臣】最近は満点星行くと。
【川添象郎】満点星に行くと会う。なんであんなところ知ってるんですか?
【細野晴臣】満点星洋食のハンバーグが美味しいので。
【川添象郎】なるほど、オーナーが僕の小学校の友達なの旧友なんですよ。すいません花がないものでね…ハナしにならないという。
【会場が拍手】
【川添象郎】ウケたよ。ビックリしたなあ。
【細野晴臣】良かった。
【川添象郎】これやめようと思ったんですよね。
【細野晴臣】歯なんで入れないんですか? 治してくださいよ。
【川添象郎】入れると痛いんですよ。
【細野晴臣】痛いのは弱いんですか?
【川添象郎】いやいや痛いのは嫌でしょう。
【細野晴臣】意外と弱いんですね(笑)。
【川添象郎】絶対イヤですね。
芸術家のアシスタントなど華麗な経歴
【細野晴臣】それでね(イタリアンレストランの)キャンティのご子息ですよね。
【川添象郎】そうなんです。でもキャンティって言っても皆さんご存知ないでしょう。
【細野晴臣】もう六本木族のはしりですからね。芸術家がいっぱいたむろしてそこのオーナーのご子息ですよね。
【川添象郎】そんなエラいもんじゃないですけどね。イタリアンレストランなんですよ。
【細野晴臣】おいしいですよ、いまだに。
【川添象郎】よく来ていただきますもんね。
【細野晴臣】僕しょっちゅう行ってますよ、いまだに。
【川添象郎】西麻布のほうですよね。
【細野晴臣】10年ぐらい前ですかね。西麻布のキャンティに行くと、だいたい川添さんがいらっしゃって。
【川添象郎】そうですね。
【細野晴臣】で、なにかアタッシュケース見せるんですよ。
【川添象郎】(笑)物騒なものが入ってるんでしょ。
【細野晴臣】開けると、物騒なものが入ってる。
【川添象郎】よく覚えてるね。
【細野晴臣】ガンですよ。
【川添象郎】拳銃ですよね。
【細野晴臣】本物じゃないですから(笑)。
【川添象郎】モデルガンに懲りましてね。それでエライ目にあいまして、お巡りさんに見つかってね。留置場に連れていかれたことがあったからね。
【細野晴臣】とにかくねメチャクチャですから。川添さんは。
【川添象郎】いやいや、そんなことないですよ。
【細野晴臣】それでアタッシュケースからモデルガンを出してきて「これ外に撃ちに行こう」って言って誘われてね。
【川添象郎】ううん、本当。
【細野晴臣】でキャンティの看板めがけてね、撃つんですよ。
【川添象郎】当たるでしょ。
【細野晴臣】当たりましたよ。
【川添象郎】当たりますよあれは。
【細野晴臣】あれ以来キャンティは出入り禁止なんですか?
【川添象郎】実はそうなんですよ(笑)。自分の店なのにね、入れてくれないんですよ。
【細野晴臣】そうでしょうね。
【川添象郎】酷いもんだね。
【細野晴臣】そうだと思ったよ。最近いないので満点星のほうに行っちゃったと。
【川添象郎】あの自分の店から排除されまして。
【細野晴臣】もうね、子供なんですかね、そんなところは。
【川添象郎】いや、それはわかりませんね、まんまですから。
【細野晴臣】川添さんのことを象(しょう)ちゃんと言っている人たちがいますよね。ミッキー・カーチスさんとか。
【川添象郎】あなたくらいですよ川添さんなんて律儀にいうのは。
【細野晴臣】象ちゃんとは言えないですよ。
【川添象郎】何で(笑)?
【細野晴臣】先輩ですから。
【川添象郎】だって若い女の子もみんな象ちゃんですよ。
【細野晴臣】女の子はね、モテるんですよね。
【川添象郎】嬉しくなっちゃいますね、あれね。
10代でアメリカのショウビジネスの現場を体験
【細野晴臣】はいはいはい。あのお父さまは凄いプロデューサーですよね。
【川添象郎】そうですね。
【細野晴臣】どんな方でした?
【川添象郎】エンプリサリオのはしり。エンプリサリオといっても皆さん馴染みはないかもしれないけど、簡単にいうと日本の文化を世界に紹介して、世界の面白いものを日本に持ってくるという、そういう仕事をしていたんですよ。
【細野晴臣】一番大きな仕事は、万博ですか…大阪じゃない?
【川添象郎】万博の富士通パビリオンね当時40億円かけて作った展示場ですね。それで賞を獲ったりなにかしていましたけど。あとはね日本の文化を世界に紹介するのが好きでアヅマカブキという踊りなんですけど、それを持っていって世界中で受けたりしていたんですよ。
【細野晴臣】あと外国のアーティストを紹介したりしていましたよね。
【川添象郎】『ウェスト・サイド物語』をオリジナル・キャストで出てきたり、それからイブ・サンローランとか、ピエール・カルダンとか、パリのファッションのデザイナーを日本に紹介したり。
【細野晴臣】あと有名なカメラマン…えーっと、どなたでしたっけ?
【川添象郎】ロバート・キャパ。
【細野晴臣】そうです。キャパ。凄い人のアシスタントをやってらっしゃったんですか?
【川添象郎】私ですか? いやキャパは僕が物心がつくようになってから亡くなっちゃっていたんですよ。それでキャパが作ったマグナムっていう写真家集団があるんですよ、これ世界一の報道写真家集団なんだけど、そのマグナムの人たちが、日本に来ると必ずウチの親父を訪ねてきて、僕がこの道に入って、この道って何だかというと文化系の仕事ですね。入った切っ掛けも、最初は写真家のアシスタントをやっていて、高校を卒業してすぐデニス・ストックとかね。
【細野晴臣】それでアメリカにいらっしゃったんですよね。
【川添象郎】そうです。シャーリー・マクレーンって女優さんご存知ですか?
【細野晴臣】もちろん。
【川添象郎】シャーリー・マクレーンの旦那さんがプロデューサーで、ラスベガスでフィリピンフェスティバルという大きなショウをやることになって、それで僕が「ショウビズの仕事をしたい」と言ったらじゃあ連れて行ってやると言って、シャーリー・マクレーンと一緒に連れていかれたんですよ、19歳のときに。
【細野晴臣】ラスベガスでショウのアシスタントやったんですか。
【川添象郎】舞台監督をやっていたの。舞台監督の助手からはじまったんだよ、もちろん。死にそうでしたよ。
【細野晴臣】そうでしょうね。生きててよかったですね。
【川添象郎】うん本当…ね。
【細野晴臣】そういうアメリカのショウビジネスの真っ只中にいたわけですよね。
【川添象郎】飛び込んじゃったんですよ19歳で。それが終わって今度は、それで貯めたお金でニューヨークに1人で行って。それでグリニッジ・ビレッジという、その頃芸術家村だったのでそこにアパート借りて、暮らしながらフラメンコギターをやって。
【細野晴臣】川添さんフラメンコギターの名手なんです、実は。素晴らしいスパニッシュ・ギターを持っていて。欲しい…。
【川添象郎】知ってる知ってる。あれね、色々な話があって細野さんが凄い気に入ってあのギターをよくレコーディングで使って。
【細野晴臣】あの『HoSoNoVa』のときにお借りしてあれでやっていたんですよ。(つづく)